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三つ子の魂百まで
 
 「三つ子の魂百まで」ってよく聞きます。幼い時の性格は、年をとっても変らない、という意味ですね。

 先日、こどもの発達心理学という分野に携わっている方に、お話を聞く機会がありました。0才から5才くらいまでの生まれ育った環境、とくに親などの身近にいる大人との関わりが、その人のだいたいの性格をつくるという話でした。例えば、その子どもの親が、あまり人とのコミュニケーションが得意ではなくて、子供と接するときもどことなくぎこちなかったりすると、その子供もコミュニケーションが上手ではなくなる、というものです。そして多くの場合、その子どもは、その時につちかった性格を持ったまま大人になっていくんだそうです。まさに「三つ子の魂百まで」ですね。そして、子供は大人になり、やがて親になり、コミュニケーション下手という性格のまま自分の子供と接します。子供とうまくコミュニケーションがとれず、そしてまたその子供もコミュニケーション下手になってしまう。このように、性格は親から子へ受け継がれていくことが多いそうです。

  私は「この性格の鎖が良いものでなかった場合、断ち切ることはできないのだろうか?」と思い、いろいろ考えてみました。「三つ子の魂百まで」の解釈で考えれば、年をとっても性格は変わらないということになってしまいます。でも、人間の底力を信じる私としては納得がいきません。では、こう考えるのはどうでしょう。「三つ子の魂は百才になっても持っているものだから、気づいたときに直す努力をすれば大丈夫だよ。」気づけばいつだって最良の道に進んでいける。それにはまず、自分の嫌なところを直視しなくてはいけませんが、変わろうとするなら避けて通れない道だし、その険しい道の先に光が見えるのなら、やっぱりそこに向かって行かなくてはいけないと思うんです。

 気づくことができれば、誰にでもチャンスはある。「三つ子の魂百まで」の自分なりの解釈に、なんだかひとりで感動してしまったのでした。
1999/03/08
 
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