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アイデンティティ:自己の存在証明
 
 アイデンティティと言う言葉を調べると、広辞苑(第5版 岩波書店)では「自己の存在証明」となっています。
 皆さんは、自分のアイデンティティがどこにあるのか、なんて考えたことがありますか?あらためて考えてみると、その場所を見つけることはなかなか難しいのではないでしょうか。

 アイデンティティについて考えるきっかけになるものの一つに、自分のエネルギーを注いでいたものが急になくなったとき、というのがあります。例えば、仕事一筋に長年務めた会社を定年退職したとか、がんばって子育てしてきた子供が独り立ちし親から離れていったなど、自分のほとんどのエネルギーや時間をついやしてきたものがなくなってしまったときです。そのときやってくる喪失感から「今迄の自分は何だったんだろう?そしてこれからの自分はどうなるんだろう?」と自分の存在について考え込んでしまいます。この場合、会社の一員としての自分、母親・父親としての自分ということが、その人の自己の存在証明になっていたために、その存在の置き場所をなくしたとき、その人のアイデンティティは崩壊してしまうわけです。

 アイデンティティがどこにあれば人は自分の行く先を見失わずにすむのでしょう?私は、アイデンティティには普遍的な場所が必要なんではないかと思うんです。つまり、会社の一員だとか、母である父であるという以前の“自分”という存在。そこにアイデンティティを見出せば、まわりの環境が変わってもアイデンティティはしっかりと保たれていくというわけです。

  男である女である、親である子である、上司である部下である…そんなことは葉であって、根のしっかりした木は葉が枯れても生き続けてまた新しい葉を芽吹かせることができます。自分の中にアイデンティティを見出すのは、容易なことではないと思います。だから、まず自分の人生を自分のためにしっかり生きることから始めましょう。自分の心のつぶやきによーく耳を澄ませながら…。
1999/08/20
 
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