サグラダ・ファミリア聖堂…それはアントニオ・ガウディという建築家が造った建築物で、スペインのバルセロナにある教会です。"造った"というより"造りつづけられている"と言った方が正しいですね。1926年にガウディはもう亡くなってしまっているんですが、その意志を継ぐ人々が、このサグラダファミリアを今も造りつづけているんです。完成するまでには、まだ気の遠くなるほどの時間がかかるだろうと言われています。
以前から、ガウディの建築物のたたずまいにはちょっと興味があったんですが、ガウディがどんな人なのか、彼の造った建築物はどんな構造になっているか、なんていうことにはあまり関心がありませんでした。ところが、ここ最近になって、たまたま見ていたテレビ番組がガウディ特集だった、なんていうことが何回か続きました。彼自身のことや、彼の建築物のことを少し知ったとき、私の中で好奇心が大きく動き出したのでした。
私は、初めて彼の造った建築物を見たとき、ただ単純に「美しい」と思いました。ガウディは芸術家なんだなぁと思いました。しかし、彼が幾何学や物理学など、きわめて構造的方向からその形に行き着いたことを知って、私はちょっとびっくりしました。彼はやっぱり建築家だった。それなのに、こんなにアーティスティックで美しい物ができるなんて、いったいどうして? 調べてみると少しずつそのなぞが解けはじめました。
彼は、自分が生きている間にサグラダ・ファミリア聖堂が完成しないことを知っていました。数百年はかかると、はじめから分かっていて造り始めたのです。そこで、自分が死んでしまった後にやってくるであろうこの建築に携る人たちのために、構造や装飾部分の見本となるもの先にいくつか造り残していったのでした。
現在、このサグラダ・ファミリア聖堂の現場には、日本人で初めてにして唯一この建築に携る外尾悦郎さんという方がいます。私はある柱の形について、彼の感じたことが書かれた文章を読みました。"見本用に作られた小さなサイズのその柱は、ある植物の茎から花にかけての形とまったく同じだった。何年かこの現場でガウディの造ったものを見てその意志を汲み取る思いでこの仕事をしてきた自分には、彼がその柱の形を自然の植物の中から見出したことを確信した。"というようなことが書かれていました。おそらく、この現場に携るほとんどの人が、彼のような思いを抱きながら仕事をしているんだと思います。自然の形や構造は、建築的に考えても完成されているというガウディの建築家としての考えと、それを形にして残し、自分がいなくなった後にそんな考えや思いを含めた自分の全てをまだ見ぬ人に託すという気持ち。物理的なことと精神的なことが融合したとき、人はこんなにも美しい物を造ることできるんだ。私は勝手に深く感動してしまったのでした。そして、ガウディーの思いを受け取った人々は、今もなお時間を超えて彼とつながりながら、おそらく自分もその完成を見ることができないであろうその建築物を造りつづけているのです。
私が今一番行きたいところ、それは"サグラダファミリア"! |