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自由になりたい!
親元で暮らしていた頃、よく「家を出て自由になりたい!」と思うことがありました。そんなとき私は、自分を自由にさせてくれない環境や親をなんだか憎らしく思い、落ち込んでばかりいました。
だけど今考えてみれば、私はただ甘えていたんではないかと思うんです。私はそこにいるということを文句をいいながら選択していたのではないかと。だって、本気で出ていきたかったら出ていけばよかったわけだから。「この家から出て自由になりたい!」と思ったとき、私はいろんな理由をつけてそこに居続けました。「だって、自分じゃまだ食べていけないじゃん。」「親が心配するかもしれないじゃん。」「今の仕事だって急にはやめられないじゃん。」そんなことが、そのときの私の“言い訳”でした。私は、自分の人生の責任を自分以外のものに押し付けて「自分はなんて不自由なんだろう」という言葉で自分の無責任さをごまかしていたのでした。
不自由だと感じる状態にいるとき、私はそこに2つの姿を見る気がします。ひとつは、不自由でいることで自分を守っているということ。もし本気で、自由でいられると感じる状態を選択したいなら、そう感じられる状態に自分を持っていく努力をすればいい。そうすることで起こってくる、全ての困難をしっかりと受け止める覚悟は必要になってきますが、自由でいられると感じる状態を選択するということは、そういうことも含めて自分の人生に自分で責任を持つということなのだと思います。そうすることが怖いとき、人は不自由でいることを選択し、自分を守るのではないでしょうか。まさに親元で言い訳しつづけていた私は、不自由を選択して身を守っていたのでした。そして、もうひとつの姿は、そこに不自由でいる理由があるときです。不自由と感じるとき、その状態をよく見てみると、そこには何か学ぶべき課題があるのかもしれません。「不自由だなぁ」という自分の内側の声は、それを教えてくれているのではないでしょうか。
親元でぐちぐちと言い訳しつづけた私に、ある日“本気”で「自由になりたい!」と思う瞬間が訪れました。そして、それはすぐ「自由になる!」に変わっていました。私が自由を獲得した瞬間でした。獲得といっても誰かから得たものではなく、自分自身から獲得したものです。私は頑固な親から家を出る承諾を得るための計画をたて、1年分のバイト代のほとんどを貯金して資金をつくり、いろんな人を巻き込んで、そしてとうとう目的を果たしました。あの1年間は今でも私の中で、大きな自信となって私を支えてくれています。実家を離れた今でも、いろいろな場面で不自由さを感じることってあります。気がつくと、また言い訳をしてたりする自分もいます。だけど、それはそれでいいと思うんです。身を守ったほうがいいのなら言い訳しつづけ、本気で自由になりたいと感じたいならその努力をし、不自由でいる理由を感じるのならその状態をよく観察する。私は、自分が歩いていく道は自分で選択していけるのだということを知りました。
自分が歩いていく道を自分で選択できるって、すごく自由だと思いません?
2002/3/25
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